NHK Eテレで2月13日(月)に『スイッチインタビュー「小倉智昭氏 × アルボムッレ・スマナサーラ」EP2』が放送されました。30分の番組ですが、内容が盛りだくさんでしたので、数回にわたってまとめ記事を掲載します。

東京タワーの下にあるこのスタジオにスマナサーラ長老が訪れるところから番組はスタートしました。対談前のインタビューで、東京タワーを見上げながらスマナサーラ長老はこのようにお話されました。

スマナサーラ
長老

もう我々人生が終了しますから、次の世代の人々にモデルになるアドバイスとか言い残したほうがいいでしょう? これからの人々はそういうことを参考にして、自分の人生をがんばってほしいという感じのことを(小倉さんに)聞きたいと思っているんです。
私が勝手に決めたテーマがありまして、二人ともほとんど同じ年齢で、そろそろサヨナラという年齢になったんだから「自分の墓石になにを書けばよろしいか」と、そのテーマで小倉さんにいろいろ聞きたいんです。

スタジオ対談

[放送から引用]

スマナサーラ
長老

私が勝手に決めたテーマがありまして、二人ともほとんど同じ年齢だからね、そろそろさようならという時期になったんだから、『自分の墓石に何を書けばよろしいか』と。

小倉氏

なるほど(笑)

スマナサーラ
長老

そのテーマで小倉さんにいろいろ聞きたいんです。だから質問1。
かなりいろんな苦労があって、いろんなことに挑戦して、どんなふうに小さいときからいままでの(人生を送ってきたのか)?

質疑応答の際、スマナサーラ長老はいつも答える側なので、スマナサーラ長老が聞き役にスイッチするこのような対談は新鮮です。
また、死について語るとき、普通はとても暗い雰囲気になってしまうものですが、この時は撮影スタッフも声を上げて笑うほど明るい雰囲気だったのだ印象的でした。

墓石に書く言葉①

[放送から引用]

小倉氏

子どもの頃、吃音がひどくて、みんなにバカにされていたんですね。(中略)その悔しさがずっとあって、なんとかそれを乗り越えて、しゃべる職業に就きたいと思ったんです。

スマナサーラ
長老

ああ、なるほど。

小倉氏

なんでもよかったんです、話すことだったら。(中略)就職するときにアナウンサーの募集があったんで、僕はけっこうそれに向いてるかな?と思って受けたらたまたまアナウンサーになっちゃって、ここ(テレビ東京)に1970年に入ったわけですよね。

でもその間は苦労しました。今は普通に話せますけど、こうやってきちっと理路整然と話そうと思うと頭の中で言葉を作って話せるんです。それが何も考えないでとっさに話そうと思うと、今でもどもるんです。いまでも吃音が出るし、電話とかは苦手です。そのへんから、どうやったらちゃんと話せるんだろうという、呼吸法だとか、頭でしっかり考えてから口にするとか、そういうことを学んでいったら、今は話すことでお金がもらえるようになりました。

スマナサーラ
長老

それで墓石に書くひとつの文章ができあがりました。

小倉氏

そうですか。なんて書けばいいでしょう(笑)

スマナサーラ
長老

人生でね、特に若いころね、周りからいろいろなことを言われてもね、「自分自身でどんな欠陥があるのかと自覚があるのだから、自分でそれを克服しなさい」という文章にします。

小倉氏

僕は日本のことわざの「果報は寝て待て」という、ご褒美は寝て待ちなさい、ということわざがありますけど、あれは嘘だと思うんですね。

スマナサーラ
長老

なるほど。

小倉氏

ご褒美は努力しないともらえないので、僕は色紙に書くときは必ず『果報は練って待て』と書きます。それが一番正しいんじゃないかと思うので。
そういうことでもお墓に書いても良いんですか? お墓って何を書いても良いんですか?(笑)

スマナサーラ
長老

(笑)ま、とにかく読む人の人生の役に立てばね。偉い人が書いたとしても「ああ、そうかい」ということになるでしょう。

小倉氏

だいたい自分は死んじゃってるわけですから、あとは知ったこっちゃないですよね。

スマナサーラ
長老

だから、そこら辺を散歩する人が「勉強になるな」と思ったら、せっかく生きていた価値がありますからね。

小倉氏

そういう風に世の人の役に立つようなことを書くのもいいですね!

スマナサーラ
長老

それは素晴らしいと思いますよ。だから、年寄りの自慢でもなく、我々の弱音を吐くのでもなく、「若い人々も次の世代もこの世界で頑張りなさい」というサンプルモデルになっていただければいいんじゃないかな…と、ね。

「人の役に立つ生き方をしましょう」ではなく「死んでからも人の役に立ちましょう」という発想は、普通の人では考えつかないですね。まさに目からウロコのお話です。

競争社会と「みんな仲間」という視点

[放送から引用]

小倉氏

(小倉さんが入社された当時、アナウンサー志望は男子だけで1万人以上いて、激しい競争をしていたという話に続けて)
例えば同期の人がいて、その人もアナウンスが上手だとします。でも自分はそれ以上にならなきゃいけないと思ってやっていたんです。それって、テーラワーダ仏教の教えとはちょっと違いますよね?

スマナサーラ
長老

まあ、言葉でみると違うんですけど、我々はアプローチを変えてやってみるんです。

小倉氏

アプローチを変える?

スマナサーラ
長老

だから「あの人に打ち勝ちたい」と言っちゃうと、すごく格好悪いんですよ。みんな仲間だからね、兄弟だから。
例えば小倉さんの場合は、仲間のアナウンサーたちがすごく美しい日本語で喋ると、「なるほど、もっと格好よくやらなかったら自分の立場がない」と(思うでしょ?)

小倉氏

言葉に出して「あいつに勝ちたい」とか「一番になりたい」っていうことはなくて、自分自身の中にそういう気持ちを持ってこれまでやってきたつもりなんですよね。それはいいんですか?

スマナサーラ
長老

それはいいんです。そうすると我々には、世界が自分に教えてくれる環境になるんですよ。だから足を引っ張る人も、なにかメッセージを伝えているんですね。「あんた、どうやってこれを克服する?」というね。我々仏教はそういうふうに見るんです、世界は。

「足を引っ張る人も何かメッセージを伝えている」というのは、解釈が難しい部分かも知れませんね。
「自分で克服する」という点は、墓石に書く言葉①と共通しています。克服する対象は自覚がありますが、「みんな仲間だ」という立場で世の中を見るならば「世界が自分に教えてくれる」ことにもなる、と私は解釈しました。
このポイントについては、木下全雄氏と佐藤哲朗氏の振り返り対談でも触れていますので、そちらの動画もぜひご覧ください!


小倉智昭さんとスマナサーラ長老対談は、前編・後編で各30分ですが、内容が盛りだくさんです。
二人の話題は、怒らないこと、希望を持たないことにスイッチします。つづきはこちらからお読みください。