NHK Eテレで2月6日(月)に『スイッチインタビュー「小倉智昭氏 × アルボムッレ・スマナサーラ」EP1』が放送されました。
小倉智昭さんは『世界まるごとHOWマッチ』でのナレーションや、22年も続いた情報番組『とくダネ!』の総合司会、数々のラジオ番組などで知られる名司会者・名アナウンサーです。
2016年に初期の膀胱がんであることを公表し番組を休養。その後、2021年にはがんが肺に転移してステージ4であることを公表し、抗がん剤での治療を続けていらっしゃいます。今回のスマナサーラ長老との対談は、小倉さんの方からのご希望だったそうです。
対談前には「長老の本を何冊も読んだ。分かるところも分からないところもある。そういう方とお話がしたかった。がんと死について長老の話を聞ければいいと思っています」と真摯に語られていました。
放送の内容を少しだけ引用しながら、簡単なコメントをつけていきたいと思います。
テーラワーダ仏教とは
[放送から引用]

テーラワーダ仏教とは、そもそもどういうふうに考えればいいですか?

長老
仏教はどんな宗派であっても、もともとはお釈迦様の教え。
テーラワーダ仏教は、もともとの教えだけを実践するグループです。

仏教の原点ですね。
お釈迦様は今から2500年以上前に教えを説かれました。テーラワーダというのは「長老の教え」という意味で、お釈迦さまの教えを忠実に守り、実践している仏教です。
瞑想について
[放送から引用]

例えば 瞑想とか「無」になるということも修行の世界では学んでいくんですか?

長老
瞑想を始めた瞬間で、我々は「無」になることを教えるんです。
「無」というか「空」というんですね。(空に)なってから観察してください、と。

それは簡単になれますか?

長老
すごい簡単です。

すごい簡単……
僕、たとえば目をつむって「瞑想しなさい」とか「無になりなさい」といっても、いろんなことが頭に浮かんできてなかなか瞑想ってできないと思うんですよ。僕の性格から言うと。

長老
皆が文化的・伝統的に思っている瞑想というのは、仏教の瞑想ではないんです。
仏教の瞑想は「Observation・観察」なんです。観察するときは、思考・妄想は邪魔なんです。

観察するときは思考が邪魔…

長老
うん。だからちょっと思考を止めて観察する。

でもその「無になる」という感覚が僕には分からなくて。

長老
まあ、当然でしょうね(笑)
この瞑想は「ヴィパッサナー瞑想」といいます。瞑想といっても、一般的にイメージされるような何か特別な神秘体験を得るためのメソッドではありません。ヴィパッサナー瞑想は、思考・妄想を止めていまの瞬間に気づいていることです。
「怒らないこと」の話題
[放送から引用]

怒らないで人生をやり過ごすことができるのかな?って思ったんですね。
なんにしても怒らないことって面白いですか?

長老
「怒らない」ではなくて、「一般の人が怒るところで怒らないでいる」ことが面白いんです。

私はあまり怒らないほうなのですが、やむにやまれず怒ることもあるわけですよね。
でも「怒ると言うことは自分の弱さだ」ということを聞かされると、それひとつ取っても「難しいなぁ」と思ったんですけど。

長老
まあ当然難しいんだけど、嫌な気分で一日でも、一時間でも過ごしたら損でしょ?

まあ、確かにそうです。怒ったあとは嫌な気分ですよね。

長老
嫌な気分でしょうね。体に悪いし、能力も減るし。

たとえば「これだけは見過ごせないぞ」っていうときには、怒る代わりにどうやって対処するんですか?

長老
私は冗談を言うんです。

冗談を言う?

長老
冗談はお釈迦様がたくさん使った手段なんです。
冗談と言ってもユーモア、すごい品格のあるユーモアなんです。

そうですね。
怒ったときに怒る前にユーモアを言うっていうことは、相手のこともよく知らなければいけないし、自分もそれに対しての考えを持っていないと、良い冗談は言えないですよね。
「怒って当然」というのはごく一般的な考え方です。でも怒りを持つと、まず真っ先にその人自身が破壊されます。「怒って当然」という生き方が人生のモットーになると、相当損をすることになってしまいます。
テーラワーダ仏教と他の宗教との大きな違い
[放送から引用]

テーラワーダ仏教は、信者を増やそうとか、もっと広めようという考えはそんなには大切にしないんですか?

長老
ある信仰パターンがあったら「これを拡大しよう」という気持ちになるんだけど、それって人間の自由を侵害するすることでしょ?

ああ、なるほど。

長老
だから宗教って言うのはすごく人権を侵しているんです。
仏教は人の人権・尊厳を極限に守るんです。仏教は超科学なんですよ。
日本では宗教的なものに対してアレルギーがありますが、それは宗教が人権を無視しているからです。テーラワーダ仏教はそれとは真逆の、自由で理性的な世界です。
病と死について
[放送から引用]

6年前に私はがんをやって、膀胱ガンで膀胱を取ったんですが、肺に転移して今化学療法している。
がんと言われたときに初めて自分の死にたいする考え方が生まれたんですね。
私の場合は、ガンは二人に一人がなる病気だし、大勢の人がなる病気だし、あまりジタバタしたくないし、すんなりと受け入れたのですが、 ただ「みんなが死んでいく」と言われても、自分の寿命がどれくらいになるかというのは、医者に「あと一年ですよ」とでも言われない限り分からないじゃないですか?
それってどうなんですか?
「人間は生きて必ず死ぬときが来るのだから、死に対して恐怖感を持つ必要はない」という教えがあるようですけど、長老はどのようにお考えになりますか?

長老
真理・現実は「生まれたものは死ぬ、現れたものは壊れる」ということなんですけど、自分以外のものだったらよく分かりますね。

はい。

長老
しかし、自分が死ぬと言うことは、人間はまるっきり理解しない。
理解しないのは人が悪いのではなくて、みんな脳で考えているんだから。
脳っていうのはすごい小さな臓器で「細胞組織を活かしなさい」という指令しか入っていないんです。
固定したプログラムを入れているコンピュータのようなものなんです。
それに別のOSを入れても動かないんです。
そういうわけで、生きる、生きる、生きる、生かす、生かす…だけで脳が働いているんです。
それは脳のハンディで、脳には死を理解できない。脳がパニックを起こすんです。
だから答えは「死のプログラムを、脳のコンピュータにインストールしなさいよ」と。
これは仏教の修行のひとつで、我々は朝晩やっていますけど、「死の随感」という瞑想があるんですね。
瞑想と言っても誤解しないでください。どこかに座ってじっと目を閉じて寝ることじゃないんです。
頭を使うことなんです。
「生まれたものは誰だって死ぬ、それは誰だって避けられない条件である」ということを念じて入れておくんです。

今でも脳にプログラムを入れるんですか?

長老
入れる。それはもう習慣的に。

死に対するプログラムを入れるって、何を考えて、何を入れるんですか?

長老
例えば、人が死ぬでしょう。
いろんな災害で死ぬわ、いろんなことで死ぬわね。
私が住んでいるところは斎場の近くですから、毎日見ているんです。
(それでも)実感できないんだから(人の死という)この運命はこちらもなるんだと言い聞かすんです。

自分の運命があるんだから、自分はそれ以上に長生きをしたいと思わない?

長老
いえ、長生きしたいでもないし、早く死にたいでもなく、放っておくんです。
「死ぬときは勝手に死になさい」と。「こちらに迷惑をかけるなよ」と。(笑)
「他の生命と同様に自分自身も死ぬものである」とインプットしておく方法を「死の随感(死随念)」といいます。Eテレの初回放送では「死の瞬間」という字幕が付いていましたが、これは再放送で修正されるという情報もあります。
以上、30分の番組のほんの一部を振り返りましたが、これ以外にも興味深い対話がたくさん行われていました。
すべての内容が見てみたい方は、2月15日(水)午前0:25分からNHK Eテレで再放送があります。
また、2/13(月) 午後11:19 までNHK+で見逃し配信が行われていますので、視聴できるうちにご覧ください。
スイッチインタビューEP2は、2月13日(月)午後10:50からNHK Eテレで初回放送です!